石のひとりごと

停年退職してもう12年,頭が白くなりました.

印南野のため池

今居る住所から西に拡がる播州平野にはため池が多い。コロナもあって近くの三角点探訪した時も数点はため池の土手にあった。

 

少し検索してみると、南埜猛「兵庫のため池」兵庫地理、2006、が出てきて、それによると、農水省の「ため池台帳」では、兵庫県のため池数は47596で、日本のため池数の22.6%で圧倒的に一位とのこと。二位の広島県(20910)を大きく引き離している。雨量が少なく、台地状の播磨平野などの灌漑に必要だったようだ。

 

作られた時代は、江戸時代以前が25%位、昭和60年以降が30〜40%(不明が20%)で、意外と新しい小規模なものが多い。近年では、農業、特に稲作の衰退もあり、ため池の潰廃で数が少しづつ減っている。

 

印南野台地という言葉が出てきて、読めなかったが、「いなみの」で、神戸市の西隣の「稲美」の古称であるようだ。天満大池は以前、時々行ったが、1947年に決壊したとの事。

 

いなみのため池ミュージアムというのが2002年に作られているそうだ。

 

今日、図書館で郷土コーナーを見ていたら、神戸新聞「播磨のため池」という本が2009年に出されていて、借りてざっと見てみた。新聞の連載記事をもとにしており、50ばかりのため池について、それぞれゆかりのある方が思い出を含めて書いておられる。また巻頭の玉岡かおるさん(ため池ミュージアム運営協議会議長)も、ため池の多面的なあり方、かなり厳しい将来について指摘されている。

 

身近だが意識してなかった事にようやく気づいた話でした。

 

ps   11月3日にいなみのため池ミュージアムに行ってみた。ミュージアム自体は簡素なもので、展示も一通りのもののようであったが、公園としては良く出来ていて、100台近い車が停まっており、周回の堤道を散歩する人、ジョギングする人、腰を据えて釣りをする人など、近くの住民に親しまれているようだった。公園の小さい高まりにあった石碑にこの地域のため池の由来などが書かれていて印象に残った。

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