秋の飛鳥路を歩く
tさんの薀蓄によると,益田岩船は斉明天王と娘の墓として2つの孔が空けられ,横穴式石棺として企画されたものの,途中で岩が割れて放棄されたものとのこと.実際,岩肌に30㎝間隔のグリッド状にはつりがされて途中でそのままになっているところがあった.この後,牽牛子塚古墳を見ると,横穴式石槨で2つの棺が置けるようになっており,益田岩船を横にした形になっている.tさんによると兵庫県高砂市の石の宝殿も上部に2つ孔が空けられていて,同じ目的で複数発注され途中で放棄されたものという考えが最近強いとのこと.
写真を少々.岩船山の登山道からみた益田岩船.表面のグリッド状の模様は表面加工の作業の途中段階を示すとのこと.
この辺の花崗岩の特徴でMafic enclaveが流れたような組織を呈している.
上側から見た益田岩船.左側の面はへつりの途中で放棄されている.
近くの斜面に岩の露頭があり,この益田岩船とほぼ同じ岩質でMafic enclaveも含まれていて,益田岩船が現地性の岩を加工したものであることがわかる.
牽牛子塚古墳は,現在改修中でシートが掛けられていたが,南側の石棺入口は立ち入って内部を見ることができる.
内部は2つの部屋からなり,益田岩船の上部に開けられた孔とほぼ同じ構造になっている.
いったん,飛鳥駅に出てお昼にする.駅前も喧騒は全くない.
バスで石舞台古墳へ.tさんによるとこれは元々土が盛ってあった古墳が土も持ち去られて動かせない岩だけが残ったとのこと.
内部から入口を見る.
内部は完全の盗掘され岩だけが残った状態
飛鳥板蓋宮跡
同
飛鳥京跡苑池は,橿原考古研の調査がかなり進んで新しい建物が立った処だった.
夕暮れの飛鳥路