石のひとりごと

停年退職してもう12年,頭が白くなりました.

『地質学の自然観』を読む。

今朝、Amazonで見たら、数日前に品切れになっていた木村学著『地質学の自然観』(東大出版会)が入荷になっていた。ジュンク堂に電話で問い合わせたら入荷している、とのことで昼から三宮へ行って入手。夕方のピアノコンサートの後から読み始めて一通り読み終えた。

’ふりかえり’かと思っていたら、そういう内容も含まれているが、どちらかというと著者の自然観・哲学について議論されていて、これからの地球科学の方向について思いを巡らしている内容に思えた。まあ、タイトル通りなわけだ。

第一章「古典地質学の方法」の中では、著者が経験した学生時代の地質調査法が書かれていて、なかなか強烈である。ともかく大地を這いずり回って対象に食らいつくこと。対象の地質過程の生じた順序を解きほぐすこと。

第二章「歴史科学としての地質学」では著者の歴史学一般についての蘊蓄が印象的だった。人間の歴史と地球の歴史の異同について思いを巡らされている。

第三章「プレートテクトニクス革命」ではその経緯と共に、著者が経験した日本の大学でのPTの受け入れ方とその当時の学生の対処が生なましく描かれている。何故日本の学会で受け入れが遅れたかということについて、地質学の脆弱性と捉え、またそれが逆により実証的な放散虫革命を生んだ指摘がされている。

第四章「地質学と哲学」の章扉には中谷宇吉郎の写真がある。この本で一番著者が訴えたかったことが書かれているように思った。要素還元主義の流れとその問題点について書かれている。P.139からの’フィールド重視の哲学’ではサンプルを野外で見て判断する能力を訓練することが本質的な研究のために必要であることが訴えられている。クーンのパラダイム論についても検討していて、そのような進歩もあるが、仮説の部分修正によって進める科学(ラカトシュの科学プログラム論)が紹介されている。また1980年以降発展してきた複雑系科学との関係についても記されているが、当方消化不良気味だった。

第五章「現代地質学の方法と自然観」斉一主義と激変事件、地質現象の時間・空間スケールと人間の時間・空間スケールの異同。その中で、’Chikyu'を用いた深海掘削での取り組みについても描かれている。

最後に付録として「これから論文を書こうとする若い読者のために」どのようにしてアピールできる論文を書くのかの蘊蓄。イントロの重視。

「おわりに」では執筆中に心臓手術を受けた経緯も書かれている。

著者も書いておられるが、地球科学でこのような学問の哲学に触れた著作を書かれたのは都城秋穂さん、井尻正二さんであろうが、この本はそれらに継ぐような内容の本であり、10年、20年と読み継がれる内容を持っているように思った。