石のひとりごと

停年退職してもう12年,頭が白くなりました.

動機の純・不純

金・土とEPMAの予約をしていたので、Mappingに出掛け、今日はそのデータ回収。一昨日理学部校舎の廊下でT先生にお会いして少し話したが、後で思うに、自分のやっているのは無理に我欲でやっているな~、という感じがした。
 
純粋に自然への興味からどんどん研究を進める、というよりは、誰も気付かない問題であっといわせてやろう、とか、なんか少し不純なのである。研究は必ずしも動機は関係ないということは、「ノーベル賞の決闘」などを読んだら、そんなもんかも、とは思うけれど、長い目ではどんなものか。T先生は私より一段レベルが高いので、動機の純・不純はすぐに判られる感じがする。
 
アパートに帰る途中でKyotoに居るMO氏から問い合わせがあった。書類を捜していたら、1980年にBannoさんがKanazawaからKyotoへ移られる時に門下の人達宛てに書かれた文章が出てきた。私は門下ではないが、門下の一人がコピーを下さったものだ。門下生は17人だったと思うが、1970年代のSBグループは丁度EPMAが導入されて最初の10年でもあり、データで論文をたたき出して勢いのある時期だった。SBさんと学生さんとEPMAが相俟ってあのような素晴らしい研究が行われたので、これは動機の不純はなさそうだ。
 
MO氏のメールには最近、岡潔の評伝を読んで印象深かったことが書かれていて、丁度大学から帰りに三宮に居たのでその本を購入して帰ってきた。岡潔の本は私も学生時代から時々読んで好きなのだが、その文章に、「本物かどうかは亡くなって50年経ってみないと判らない」とある。その位のスケールになると確かに、その人を動かしていたものが何かが明らかになるのだろう。
 
岩鉱系だと、神津淑祐という東北大の初代教授は、今でも1930年代の粘性の実験が使われていたりするので立派に80年を生き抜いているといえるのかも知れない。地質の場合は記載は何時までも残るかもしれないが、物の考え方で生き続けるのは容易ではなさそうだ。純だからといって、研究内容が必ずしも良いとは限らないが、不純な場合は寿命は短いのかも知れない。