石のひとりごと

停年退職してもう12年,頭が白くなりました.

柳川喜郎『襲われてー産廃の闇、自治の光』岩波

一昨日、東大地震研究所で柳川喜郎さんの火山防災に関する講演会があったのだが、土曜と勘違いしていて、謦咳に接する機会を失った。以前、鹿児島大の井村さんがツイートで、柳川さんの『桜島噴火記』を繰り返し読む座右の書と書かれたのを見て、読んで強い感銘を受けていた。

一方で、桜島噴火記を読むまでは、柳川さんは、岐阜県御嵩町の町長として、暴漢に襲われ瀕死の重傷を負いながら産廃処理場建設を食い止めた人として印象に残っていた。岩波から2009年に表記の本を出されていることを知り、入手して読んで見た。

柳川さんは、神田生まれだが、疎開のため御嵩町で中高を過ごされている。その時の同級生と結婚されたのだがその義父が昔御嵩町の町長をされていたとのことで、1993年に奥さんを失くされ、前年亡くなった義理の母の法事で御嵩町に帰った折に、町長選への出馬を打診されたとのこと。ちょうど、NHKを退職したばかりで結局出馬を引き受けて住民の支援があって95年に町長に。その時には既に、産廃処理場の話は進んでいたが、そのまま建設されると汚水が木曽川に流れ、下流で飲料水を引いている名古屋等500万に影響する可能性があるということで、検討事項として待ったをかける。

結局、産廃処理業というのは、儲けが大きく、暴力団等もからんで、闇の部分が多く、1996年10月30日の傷害事件は犯人は捕まらないまま。産廃業者、国、県、市町村役場、市民、それぞれの立場があってなかなか事が動かなかったのだが、結局、筋を通した柳川町長とそれを支える市民が、一歩一歩業者や県、国の不十分な対応を詰めて行って、最終的に住民投票で建設中止に追い込む。

それにしても闇の部分は何処までも深い印象。御嵩町はすじを通して良かったが、最近の日本の状況を柳川さんはどのように思っておられるだろうか。私は古い人間で、太平洋戦争に日本が突入するのを結局許した日本人の国民性は今も変わっていないと思うのだが。