石のひとりごと

停年退職してもう12年,頭が白くなりました.

教養的教育

昨日の朝刊に阪大総長の鷲田さんが、大学院にも教養的教育を担当する部署を設けたことが書かれていた。要するに、専門だけで勉強・研究を行うだけだと伸び幅が少なく、自分の研究の位置づけが不十分になる、ということかと思う。以前、約10年間所謂一般教育を担当し、今も一部そのような科目を持っていて、専門の勉強に燃えて入学した学生に、自分の担当するような雑学を教育して、その価値があるか、あるいは学生は切実に学びたいと思うか、と疑問に思いながら行ってきた。学生が必要を感じて自分で視点の拡がりを希求して求めればやりがいもあるが、1年次にこのような教育をしても仕方ないというのが、率直な思いである。大学院では討論形式で少人数で大学論や、科学論などを材料にやれば意味は大きいだろうが、それをできる自信は余りない。