石のひとりごと

停年退職してもう12年,頭が白くなりました.

「つぶれた帽子」佐藤忠良

図書館で見て、最初のグラビアにある「母の顔」の写真が味があって良いなと思った。借りて帰って早速読み始めて2時間余り、本文169頁、面白かった。1988年の日経新聞私の履歴書」に加筆したもの。忠良さんは、1912年ー2010年。

 

・あこがれ、・北海道、・彫刻への道、・新制作協会、・シベリア、・戦後、・年譜。作品のグラビアが64頁。

 

宮城県の農学校教師の元に生まれるが、6才の時、父が亡くなり、母の実家のある夕張に移る。中学は札幌で自炊生活。北大農は不合格で、歯科医の書生。20の時画家を志し上京。22で東京美術学校彫刻科に入学。25の時友達の誘いで出品した国画会展で受賞。1944に召集で満州へ。際どい処生き残ってシベリア抑留3年。1948帰国して活動を再開。1981パリ、ロダン美術館で個展、1983ニューヨークで個展。

 

最初の・あこがれ、の項で、「今は、印刷も電波も発達して、絵も彫刻も、作品集やテレビの美術番組を見ただけで、見てしまったような、解ってしまったような思いがし、本物に触れるために足を運ばないでもすんだような気がして、この憧れからだんだん遠ざかりつつあるのではなかろうか。文化とは、このせつないような憧れかも知れない」とある。

 

確かに、「母の顔」も写真では色々なものがある。神戸にも4点、忠良さんの作品があるようなので機会があったら見に行こう。「母の顔」は宮城県立美術館なので行く機会を持てるかどうか。